■ 永保寺と僧堂

虎渓山一帯


虎渓僧堂
 1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、 1317年(文保1年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京されました。  1335年(建武2年)夢窓が臨川寺(京都)開山となられたとき、永保寺開山は元翁本元に改められ、 元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展開しました。 しかし文明期以後には衰微しましたが、江戸時代の1746年(延享3年)には末寺28ケ寺、孫末寺1ケ寺を有し、 山内塔頭(たっちゅう)住職が虎渓山の住職をつとめ護持されてきました。
虎渓山の詳細はhttp://kokei.or.jp をご覧ください。


虎渓僧堂出頭門
 近世末期には白隠慧鶴の一系に属する春応禅悦(霊機神応禅師)が僧堂を開かれました。 当初僧堂の師家(雲水修行の指導者)と虎渓山の住職は別々になっていましたが、 その後、師家が永保寺住職(一山の住職)を兼ねるようになり、 臨済宗南禅寺派の専門道場(僧堂)として多くの雲水が禅の修行に励んでいます。